中学で始めたベースでしたが、中学の間は披露する機会がないまま終わりました。
周りはバンドブームで、特にハード・ロック、ヘビーメタルが流行っており、安い会場を借りてライヴをするクラスメートなども出てきていました。
ギターはそこそこ弾ける奴もいましたが他は最悪でした。
だいたいやんちゃな男の子が勢いだけでやっていたので、ろくなことがなかったのです。
僕が持っていたあるバンドのバンドスコアを貸してと言われ貸しました。
返してというと他のやつに貸したと。
その他のやつに催促に行くとまた違うやつに貸したと。 しつこく行き先を辿ったのですが、全員ぐるで借りパクする魂胆だったらしく、最後まで逃げ切られてしまいました。
中学までいいやつもいたんでしょうが、とにかくクズが多かった。
高校に入ったら軽音楽部に入りました.
その頃兄は大学で軽音楽部でプロ級の先輩にうまく混ざってバンドをしていました。
僕が入った軽音ではやりたい曲などで全く意見を聞いてもらえず、練習には出ていたが文化祭では気がつけば別の奴がベースを弾いていました。
ここもクズの集まりなのかと退部してフォークソング部に移りました.
フォーソンでは少しは仲間もできて当時流行っていたboowyのコピーバンドで部のイベントにも何度も出演しました。
その時はバンドで演奏できていたことだけで満足できていたレベルでした。
しかし部の中では部員の金銭問題や女性問題が尽きず誰も信用できなくなりました。
部の中だけでは経験は積めないしと思い親に頼み込んでベースを習いに行かせてもらいました。安い教室だったのでその時はオッケーもらいました.
しかし営利目的な教室だったのでためになるレッスンを受けることができませんでました。教室の縛りがかなりあった。
先生はいい先生だったのですが、システムの壁がもどかしかった。
高3には受験に専念しろと辞めさせられました。
いやこの時も家出のチャンスだったのにと後悔しています。